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【ぼちぼち日和】なんだかんだ、いい連携
今日は午後から予定があったので、朝は少しだけゆったり。 ここ一週間くらい、 今週末の1 day schoolで使う教材研究を、 じゅんこ先生と一緒に進めています。 今日はじゅんこ先生が 必要な材料を買い足しに行ってくれていたので、 私は家で、パソコンを使って教材づくり。 お昼が近づき、そろそろ家を出ないといけない時間だったのですが、 その前にどうしても庭の写真を撮りたくなって、 カメラを持って外へ。 写真は小さな趣味です📷 じゅんこ先生は昔からガーデニングが好きで、 春から夏にかけて、庭がどんどん賑やかになります。 私はその毎日少しずつ変わっていく植物たちを、 お気に入りのカメラで撮る係。 なんだかよく分からない連携ですが、 お互いの「好き」が自然と噛み合っています。 ちなみに今年の春〜夏の庭は、 じゅんこ先生曰く「3段階構成」なのだそう笑 4月頃には、 「今は第1弾だよ」 と言われていたので、 その頃はその頃で沢山撮っていました。 そして現在、 おそらく、第2弾〜第3弾あたり。 庭のメンバーが少し入れ替わったようです。 今日の主役は祖父が母に
5月28日


【ぼちぼち日和】散らかった机と、冷めた紅茶と。
なんだか最近、部屋が少しだけ荒れていました。 ゴールデンウイークに、久しぶりに本棚を整えて、棚の位置を変えて、好きな雑貨を並べて。 「やっぱり、自分の好きな空間っていいなあ」 なんて思っていたのですが、 締め切りや、考えることや、 ちょっと緊張する予定が近づいてくると、 私はすぐに「忙しい気持ち」になってしまいます。 実際には、 お茶を飲む時間も、 部屋を片づける時間も、 少しくらいぼーっとする時間も、 たぶん、あるんです。 でも気持ちの中では、 「あれやらなきゃ」 「これも終わってない」 「終わってないのにお茶なんて飲んでていいのか?」 と、頭の中だけがずっと小走り。 すると不思議なことに、 机の上にはプリントが増え、 ご飯は急いで食べ、 片付けようと思っていたお気に入りの服たちも“とりあえずここ”に置かれ始めます。 この前も、母が入れてくれた紅茶を、 「リラックスのために飲もう」と目の前に置きながら作業していたのに 結局二口くらいしか飲まず( ; ; ) そのままバタバタと寝る準備をして、 布団に入る直前に、 「あ、そういえば紅茶飲んでなか
5月27日


自分の声になる瞬間
私の友人に、いつもゆったりと柔らかい声で話す人がいるんです。 普通に雑談しているだけなのに、その場の空気がふっとやわらいで、なんだか癒されてしまう。 「素敵だなあ」と、いつも思います。 そして不思議なことに、その人と話しているときの私はいつもより少し落ち着いた声で話している気がするのです。 緊張のない、自分の身体にちゃんと馴染んだ声で。 きっとそれは、その人がまとっている空気(人柄)によるものなのだと思います。 言葉をすぐに跳ね返される心配がなくて、一度ちゃんと受け取ってもらえる安心感がある。 だから、無理に強く話さなくてもいいし、急がなくてもいい。 その安心感が、私の声そのものを変えていたのだと気づきました。 子どもとの関係も、どこか似ているのではないでしょうか。 私たちはつい、「どう声をかけるか」という“言葉の内容”に目が向きがちですが、 それ以上に子どもに届いているのは、声の質や、そこに含まれる空気 なのかもしれません。 急かすような声、評価が先に立つ声、それらは言葉が正しくても、どこか身体がこわばってしまう。 反対に、ゆったりとした声、や
4月3日


なごみの森で育みたいもの
モンテッソーリなごみの森の1 day schoolでは、 子どもが何かを「できるようになる」瞬間をたくさん見ることがあります。 けれどモンテッソーリ教育が大切にしているのは 「できるようになること」そのものよりも、その過程で「どんな心の動きが育っているか」という視点です。 ・自分でやってみたいと思ったことに向かう力 ・試行錯誤を重ねて自己解決しようとする力 ・誰かに言われたからではなく、自分の納得で動く力 ・自分の心の動きに敏感であれる力 ・・・ こうした力は、すぐに成果として見えるものではありません。 しかし、これからの人生を自分で歩み、主体的に学び続けていくための大切な土台になります。 知識を得ることも、できることが増えることも、どちらも大切な経験です。 そのうえで 、 子ども自身の心と向き合いながら進む学びは、学ぶことそのものを少しやさしく、楽しいものにしてくれるのではないでしょうか🍀 子どもが自分のタイミングで世界と出会っていく 力を育てることは、 これから出会う学校での学びを、 与えられるものではなく、自分のもの
3月14日


幼児と数の、ちょうどいい出会い方
数字は、 世界を整理するためのラベルのようなもの と、私は捉えています。 たとえば、同じ大きさのものを集めたり、多い・少ないを比べたり、ぴったり収まる場所を探したり。 そんな日常の中にある感覚に、あとから「1・2・3」という名前がつく。 そう考えると、幼児と数の出会い方は、 具体 → 抽象 という順番が自然なのかもしれません。 先に、見たり触れたりしながら量や関係に触れ、そのあとで数字という記号に出会う。 日常の中にも、子どもが感覚で出会っている数の世界はたくさんあります。 コップを配るときに「まだ足りない」と気づいたり、靴を並べて「同じだね」と言ったり、電車のおもちゃを長くつなげたり、スプーンを人数分用意しようとしたり、階段をのぼりながらリズムを感じたり。 まだ数字を知らなくても、 多い・少ない、同じ・違う、長い・短い、足りる・足りない といった関係を、身体を通して感じ取っています。 モンテッソーリ教具は、こうした感覚をよりはっきりと感じられるように、【性質の孤立化】が成されています。 2次元の円柱さし 例えば【円柱さし】であれば、 高さだけが
2月18日


自由と放任ってどう違う?②
―大人に必要とされる「忍耐力」― モンテッソーリ教育では、自由のことを 「制限された自由」 という言葉で表します。 少し不思議な響きですよね。 でもこれは、「自由を縛る」という意味ではありません。 自由を守るための、大切な線引き のことです。 たとえば、 他の子が集中している横で大声を出す 使っている教具を、断りなく取ってしまう 危険な行動をしている こうした行為は、「本人がやりたいから」という理由だけでは、自由とは言えません。 なぜならその自由は、 誰かの集中や安心を壊してしまうから 。 モンテッソーリ教育では、 「自分の自由」と同じくらい、「他者の自由」を大切に します。 だからこそ、他者の権利を侵してしまう行為には、きちんと止める線があります。 一方で、 少しぎこちない手つき 時間がかかっているように見える作業 大人から見ると遠回りに感じる取り組み 同じことを何度も繰り返す様子 こうしたものは、たとえ非効率に見えても、私たちは「じっと見守る」ということが大切になっていきます。 むしろ子どもが悩んでみたり、試してみたり、考えてみたりする様子を
1月23日


自由と放任って、どう違う?①
― モンテッソーリが大切にしている「自由」の話 ― 「モンテッソーリ教育って、子どもを自由にさせるんですよね? それだと協調性がない子どもに育ってしまうのでは…?」 こんな疑問についてお答えしていきたいと思います(o^―^o) たしかに、モンテッソーリ教育では「自由」がとても大切にされています。 でもその自由は、何をしてもいい、大人が子どもに無関心になる、という「放任」とは少し違うのです。 むしろ、 安心して自由になれるように、周りがしっかり整えられている 、そんな自由です。 たとえば、なごみの森の活動の中では、 どの教具(活動)に取り組むか いつ始めて、どれくらい続けるか 机でやるか、床でやるか 今日は参加するか、少し見ているだけにするか こうしたことを、子ども自身が選べるようにしています。 一見すると、「全部子ども任せ」に見えるかもしれません。でもその背景には、 発達段階に合った教具が用意され、子どもの目につくように配置されていること 使い方や約束が、最初に丁寧に示されていること 講師がよく観察・記録し、必要なときだけそっと適切な援助を行う
1月23日


11月『モンテッソーリ1day school』の様子
初めての「モンテッソーリ 1 day school」。私たち自身も、どんな時間になるのだろうと、ドキドキ、ワクワクしながら準備を進めていました。 90分という時間が、この子たちにとって長いのか、短いのか。 始まる前はそんなことも考えていましたが、 終わりの時間になっても子どもたちは、「次はなにやるの?」と、 まだまだ続くと思っているかのような元気いっぱいの姿。 子どもたちが深く集中しているときの90分は、本当にあっという間ですね。 特に印象的だった活動のひとつが、 色水実験 でした。試験管とスポイトを使いながら、色の三原色が混ざっていく様子を楽しむ活動です。 スポイトや試験管に触れること自体が、6歳の子どもたちにとっては新鮮な体験。「こうやって使うもの」と事細かく伝えなくても、吸ってみたり、出してみたり、量を調整してみたりと、手を動かしながら少しずつ感覚的に学び取っていく姿がありました。 色チャートなども一応準備していましたが、今回の子どもたちの関心は 自分の手で色をつくり出していく過程そのもの に向いていたように思います。 中には、試験管に色水
1月10日
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