自由と放任ってどう違う?②
- pf0914
- 5 日前
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― モンテッソーリの教室で起きていること ―
モンテッソーリ教育では、自由のことを「制限された自由」という言葉で表します。
少し不思議な響きですよね。
でもこれは、「自由を縛る」という意味ではありません。
自由を守るための、大切な線引きのことです。
たとえば、
他の子が集中している横で大声を出す
使っている教具を、断りなく取ってしまう
こうした行為は、「本人がやりたいから」という理由だけでは、自由とは言えません。
なぜならその自由は、誰かの集中や安心を壊してしまうから。
モンテッソーリ教育では、
「自分の自由」と同じくらい、「他者の自由」を大切にします。
だからこそ、他者の権利を侵してしまう行為には、きちんと止める線があります。
一方で、
少しぎこちない手つき
時間がかかっているように見える作業
大人から見ると遠回りに感じる取り組み
同じことを何度も繰り返す様子
こうしたものは、たとえ非効率に見えても、私たちはじっと見守ります。むしろ子どもが悩んでみたり、試してみたり、考えてみたりする様子を見た時こそ、この子の学びたいことが詰まっているのかもと考えます。そしてその延長線上にある新たな学びとなるものを、その子の目につくところにそっと準備しておいて、またじっと見守ります。
モンテッソーリは、「教師は活動的である以上に、忍耐強くなければならない」と述べました。
なぜなら、子どもが自分の内側から動いているとき、その芽を大人の都合で止めてしまうことは、自己教育力そのものを弱めてしまうことがあるからです。
だからこそ、少しぎこちなく見える過程も、将来へと続く発達の途中として、丁寧に尊重していけたらと思います。
「見ているうえで止めない」ことと「何も見ていない」ことの違い。
この違いを意識することが、自由と放任を分ける、大切なポイントかもしれません。



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